執筆(2)― 文章力と悟りの力

人びとの心に訴えかける感動的な文章

文章術を磨く最良の方法は、自分が理想とする作家の文体を真似ることだとも言われます。確かに近道であるように思えます。しかし技術的な面だけでなく、総合的な文章力と言う観点から述べると、著者がその言葉や文章に、一体、どのような思いを込めたかが重要となります。

例えば、宮沢賢治の有名な作品に、「雨ニモマケズ」という詩があります。

この詩は手帳に書きこまれていたものですが、非常に力強く、感動的な作品となっています。その理由は、作品中の言葉使いもさることながら、賢治自身が描く純粋な理想が、詩に命を吹き込んでいるからに他ならないのです。

 

雨ニモマケズ
風ニモマケズ
雪ニモ夏ノ暑サニモマケヌ
丈夫ナカラダヲモチ
欲ハナク
決シテ瞋ラズ
イツモシヅカニワラッテヰル
  (~中略~)
ヒデリノトキハナミダヲナガシ
サムサノナツハオロオロアルキ
ミンナニデクノボウトヨバレ
ホメラレモセズ
クニモサレズ
サウイフモノニ
ワタシハナリタイ
(引用:『宮沢賢治詩集』谷川徹三編、岩波書店 より)

 

このように、最終的には著者の全人格が文章を通して現れ、それが人びとの心を動かすことになります。著者がどこまで人間の心を深く探求し、それを掴み得たか、ということが問われるのです。

それは、仏教的に言うなら、悟りの力そのものであると言ってよいでしょう。そうした悟りの力が人びとの心を動かし感動させるのです。作家自身の悟りの力が文章力となって湧出するというわけなのです。

 

魅力的な作家への道

悟りという言葉は、吾の心と書きますが、著者が自らの心の奥深くに眠っている純粋な心、穢れていない真実の心というものを、どこまで発見し得たかということが鍵となります。

自ら発見した純粋な心を通して、他の人々の心や世界を見つめると、それまでとは全く違う風景が見えてくるのです。当然、その文章に込められた輝きも全く異なってきます。

仏教にせよ、キリスト教にせよ、世界にはさまざまな宗教が存在しますが、そうした宗教を通して心の教えを学び、体得している作家の発する言葉には、流行に左右されない、深い魅力が感じられます。

それは、人びとの心のひだを充分に理解しているということが原因かもしれません。一方、そうした魅力ある作家になるためには、書物を通した学びだけではなく、さまざまな苦しみや困難に立ち向かい、それを乗り越えてきたという人生経験が、重要な役割を果たしているのは間違いないでしょう。

そうした意味においても、人生には、決して無駄なものは無いといえます。「人生は、一冊の問題集である」という言葉もあります。

私たちが、自らに与えられた問題集から逃げ出すことなく、ひとつずつ丁寧に解いてゆくことこそが、取りも直さず魅力的な作家へと至る王道なのでしょう。